説教 2021年11月

2021年11月28日

「クリスチャンの新しさ」マルコの福音書2:18-22   小高政宏牧師

<説教要旨>

 はじめに

 

 今日、クリスチャンはどのように見られているでしょうか。キリスト教には、清い生活、謙遜、勤勉、愛と奉仕など長い伝統の中で培われた良いイメージがあります。しかし、みんながそのようにみてくれるわけではありません。宗教不信の時代といわれますから、かなり厳しく見られているのではないでしようか。クリスチャンの良いとされるものは、信仰生活の結果、実であって、それ自体がクリスチャンの性質ではありません。クリスチャンでなくとも、清い生活、謙遜、勤勉、愛と奉仕などに満ちた人はいるわけです。そういうよい実をもたらすものがあり、それがクリスチャンの独自なものです。イエス様はそれを新しさとして教えられました。

 

 伝道者の書に「日の下に新しいことはない」といわれています。新しいことのように見えても、もうすでにあったものに過ぎないと教えられています。確かに社会は豊かにあり、科学技術の発展などにより、大きく変わっています。しかし、人間も社会もその霊的な本質は変わっていない。すべてのものが死によって終わってしまう。本当に新しいものは、死を超えるものでなければならない。サタンと罪の支配を打ち破るものでなければならない。霊的には、本当に新しいものは、ただ主イエスによってもたらされた新しさだけです。具体的にどういう事でしようか。きようは、①人の目によく見えなくとも、②信仰生活は喜びの中に生きていること、③信仰生活の新しさを教える一つのたとえ、この3つを聖書にそって学びたいと思います。

 

1.人の目に良く見えなくとも

 きょうの聖書箇所は、イエス様の弟子となった人たちが、ほかの人たちと比べられているところーです。イエス様の働きが順調に進み、人々の注目を集めるようになってきた。そこで、かれらは、いろいろ評価されるようになった。

 「あなたの弟子たちはなぜ断食をしないのですか?」こういう質問が出されました。イエス様の弟子たちの生活ではっきりした特徴として断食をしないという事が指摘された。バプテスマのヨハネの弟子たちもパリサイ人たちも熱心に断食をして祈っていました。パリサイ人たちは週に2回、月曜日と木曜日に、日の出から日没まで食事をしませんでした。これは最低限のことで、熱心なパリサイ人やバプテスマのヨハネの弟子たちはもっと多く断食をしていました。旧約聖書の教えでは、年1回断食をする日が決められていました仮庵の祭りという秋の収穫が終わったときの祭りです。この祭りの最後の日に、断食をした。ふつう収穫の祭りのときには飲み食い踊る祭りがほとんどですが、エジプトを出たイスラエルの民は唯一の神を覚え、奴隷のときのことを覚えて断食した。その断食が後にはいろんなときになされるようになった。 

 断食自体は決して無意味なことではありません。確かに恵みの手段として神によって教えられ、実際に効果を挙げた例が幾つも聖書に記されている。大きな課題の達成を願うとき、病気の回復を求めるとき、災害が終わるのを願うとき、過ちの許しを求めるとき、悲しみのとき、心配なことがあるときなど。断食によって身を清め、より神に近付き、真剣に神の導きを求めました。そういうことに価値ある手段である。ところが、断食する動機がなくともするようになっていった。断食を多くすればするほど信仰が立派だと言う雰囲気になっていた。

 

 ですから、イエス様の弟子たちは断食をしないという事だけで、その信仰はまともではないと判断された。主イエス様どんなに立派な事を教え、いやしや奇跡を行っても、断食をしていないと言う事実を指摘したら、恥じ入ってしまうだろうと思ったに違いありません。

 ですから、主イエスの弟子たちが断食をしないと言った人たちは、断食をしないことに深い意味があることなど全く考えなかったことと思います。自分の基準で他の人を評価し、自分をその人より上に置こうとする。差別や蔑視はそういう自己中心の思いからおこります。神様を中心に置くときには起こらない。自己中心であるかぎり、自分が優位に立てないときには劣等感を持ってしまう。優位だと思うと見下す傾向があります。

 この質間をしたのは、バブテスマのヨハネの弟子たちとパリサイ人たちです。弟子たちの信仰生活の真剣さや新しさを示すために、旧約聖書の信仰に一番忠実なバブテスマのヨハネの弟子が非難を目的とするパリサイ人と共に、イエス様に質問したとなっています。バブテスマのヨハネの弟子たちは正直なところ、主イエスの弟子たちがなぜ断食しないのか、毎日楽しそうにしているのか不思議だったに違いありません。

 

 主イエスの弟子たちは、イエス様が人々に与えたインパクトの割には、人の目に立派には見えなかった。どう見られるかということを気にしていなかった。それはイエス様と共にいると、人の目を気にしないで、もっと大切なこと、もっと真実なことに心を向けることでできるからです。みんながやっているので、少しくらい悪いことをしても平気だという意識が日本人日本語は強い。主イエスの弟子たちが人の目を気にしないと言うのは、それとは違います。人の目を気にして表面ばか り取り繕うのではなく、イエス様と共にいると、そういう思いから解放されるのです。

 

2.喜びの中に生きている

 さて、問い掛けに対して、イエス様はどのように答えたでしようか。

 19節を読む。「イエスは彼らに言われた。花婿が、自分たちといっしょにいる間、花婿につき添う友だちが断食できるでしようか。花婿といっしょにいる間は、断食できないのです。」

 このことばは弟子たちが生きているこの時代を結婚式に例えています。こういう見方はバプテスマのヨハネにもパリサイ人にもないものでした。私たちの中にも哲学の中にもないユニークな考えです。パリサイ人たちは、自分たちの生きている時代を恵みの乏しい時代だと考え、その中で優等生となってなんとか恵みを頂こうと言う姿勢です。乏しいからほかの人にまさるように努力する。バプテスマのヨハネは、乏しいを通り越してもっと厳しく危機が迫った時代だと考えました。さばきが間近に迫って、このままではどうにもならないという思いです。

 ところが、イエス様は全く違う。喜びや希望が満ちている結婚式のときのようだと考えた。この違いはどこからくるのか。当時の良識ある人はみなバプテスマのヨハネの弟子たちやパリサイ人のように考えたのではないでしようか。イエス様のように考えるのは、社会のことも生活のこともよく分からない子供ぐらいだったのではないでしようか。それではなぜイエス様はその様な考え方をされたのでしようか。

 

 イエス様の弟子たちは、みことばによって召された人たちです。この召しが結婚式に招かれた時のような喜びを与えている。当時の結婚式は数日から1週間行われた。その間飲み食いをして過ごし、断食はしなくてよかった。弟子たちは花婿と一緒にいるとされているのです。イエス様と共にいるということは、悲しみが除かれ、希望が与えられるときです。弟子たちは結婚式のときのような喜びの場に入れられた。誰もが不安や厳しい裁きのようなことしか考えられないような時に 主イエスとの出会いは希望や喜びに私たちを導き入れる。だから、弟子たちは断食をしない。

 誰もが自分のカで救いを得よう、なんとか安定できるようにしようと努力する。そして、自分を他の人と比べて安心したり、誇ったり、小さくなったりする。そういう中にパリサイ人もバプテスマのヨハネの弟子たちも生きていた。ところが、イエス様の弟子たちはそうではない。すべての恵みをイエス様が与えてくれる。有り余る恵みがある。自分たちはそういう中に生きているので、喜んでいる。だから断食をしないのだという事です。クリスチャンらしさを一言で言うと、この喜びに生きるという事です。そこから、ほかのものはそこから与えられる。明日のことを心配することはない。死んでも生き目ことができる。天国が備えられているのです。キリストに招かれて、恵みの中にいきると、はっきりと覚えたい。

 

3.クリスチャンの新しさ…その1新しい着物のたとえ

 21節を読む。「だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、新しい継ぎ切れは古い書物を引き裂き、破れはもっとひどくなります。」

 この例えでは、イエス様の弟子たちは新しい着物に例えられています。そして、バプテスマのヨハネの弟子たちやパリサイ人や律法学者たちの生き方は旧約聖書の時代の生き方で古い着物に当たります。ふつう新しい着物から切った布で古い着物に継ぎをしません。

 バプテスマのヨハネは旧約の時代の最後の預言者と言われます。彼は、ちょうど古い着物である旧約の時代の生き方のどこが擦り切れ、どこに穴が開いているかを知っていました。「熱意」や「悔い改め」の必要を感じ取り、継ぎあてを必死にしていたのです。バブテスマのヨハネは主イエスによってもたらされるものがどういうものか、はっきりとは知らなくとも少しは知っていました。そして、その新しい布で古い服をおぎなおうとしていたのです。しかし、新しい布は洗うと縮み方が古い布よりずっと大きいので、古い布は破けてしまいます。この例えは、バブテスマのヨハネの弟子たちによく当てはまります。

 そしてまた、今日の私たちにも当てはまります。まず自分の生活のパターンや価値観が決まっていて、弱いところや困ったことがあったときに信仰に頼ろうとする生き方がそうです。安定した 生活や今の生き方に自信を持っている人はそうなりやすい。日本の新興宗教はいろんな宗教のよいところ現実に良くあうところを集めてつくった、パッチワークのようなものが多いそうです。それが一番よいと思われるかも知れませんがそうではありません。新しい着物から取った布きれを古い着物に継ぎしたらどうなりますか。新しい着物がだめになります。その上さらに古い着物も裂かれてしまう。どちらも駄目になってしまいます。中途半端な信仰は恵みどころか、もっと悪い結果を招く。

 

 キリストの恵み、弟子たちに与えられた新しい生活は、新しい服のようにそのまま着なければならない。ところが、そうできない。遠藤周作は、日本のクリスチャンには、「隠れキリスタン」という性質が染みついていると言いました。自分の信仰を隠したままにすると、「面従腹背」…納得できないことがあっても従順しているように振舞う、という性質があると言う。新しい着物をそのまま着られない。新しいを着ものを着ても、すぐに脱げるようにしておいて着る。

 

4.第二のたとえ……あたらしいブドウ酒

 ユダヤではぶどうの収穫を終えて、ブドウ酒をつくるときが一番平安な恵みのときでした。そして、ブドウ酒は恵みを代表するものの一つとして考えられていました。イエス様の最初になさった奇跡は、カナの結婚式で水をブドウ酒に変える奇跡でした。このブドウ酒は新しい恵みを現しています。それは、律法のように外側から人の行いを規制するものではなく内側からあふれる力に満たしてくれるものなのです。また、ブドウ酒は、イエス様の十字架上のあがないの血を象徴するものです。霊的な力を表します。

 

 革袋は、山羊一頭をまるはぎにしてなめし、四本の足と首のところを縛って袋として使ったものです。大変丈夫で長持ちするので、遊牧民には欠かせないものでした。今でも中東では使われているそうです。新しいブドウ酒は発酵力が強いので、激しく膨脹します。そのため、古くなって弾力が失われ柔軟性も乏しい革袋に新しいブドウ酒を入れると、破れてしまいます。イエス様の弟子たちに与えられた恵みは、この新しいブドウ酒のようなエネルギー、霊的な力をもっています。

 これに対して、古い革袋は、旧約の生き方、もっと広く考えると、キリストの恵みを知らない、自分の力や知恵に頼った生き方です。古い革袋の立場に立ってみるとき、新しいブドウ酒は破壊者のように思われる。断食と言う貴重な伝統を無視するものである。やがて、彼らは古い革袋の破れが段々大きくなり、ブドウ酒がみな流れ出てしまうように、旧約の信仰をみな失ってしまう。その様に律法学者やパリサイ人には感じられたに違いありません。

古い革袋しかもたない人にとっては、新しいブドウ酒は、危険なものです。しかし、新しいブドウ酒は、主イエスによってもたらされる素晴らしい恵みです。

 そして、それを受けるためには、相応しい器を用意しなければなりません。柔軟で弾力のある革袋が必要なのです。大きな恵みを受けるに相応しい生活が必要です。それは聖日の礼拝、祈り、みことばの学び、交わりなどの恵みの手段をうける信仰生活です。

 

 お祈り

2021年11月21日

「取税人マタイの召し」マルコの福音書2:13-17   小高政宏牧師

<説教要旨>

 はじめに

 

 きょうの聖書箇所には、取税人マタイがレビという名で出ています。マタイが主イエスの弟子となったときのことから、罪人が救われるという神の真理を学びたいと思います。聖書にはマタイの心の動きについて何も記されていまません。人はうわべを見るが、主は心の中を見られます。み言葉の中にこころを読み取りたいと思います。

 マタイについては、聖書ではこの箇所以外にはどこにも出てきません。彼が主イエスの弟子としてどのような働きをしたかは全く分かりません。ただ、「弟子になった」ということだけが聖書に出ているだけです。そして、取税人が主イエスの弟子となったことが、大切な教えなのです。目からうろこが落ちなければわからない真理です。罪人の救いは、主イエスの十字架と復活という神の愛によってしかできないことであり、理解できないことです。きようは、状況を踏まえ、

 ①マタイの中にあった救いへの思い、②主に召された喜び、③マタイと主の弟子たちの交わりを非難するパリサイ人の目、④罪人を救うために来た神の御子の使命、の順に学びたいと思います。

 

1.取税人マタイと当時のユダヤ人社会

 マタイは取税人でした。取税人は、どういう仕事をしていた人のことでしようか。ローマ帝国は非常に広い地域を治めていました。法律を定め、道路や建築物を作り、軍隊がどこにでも何時でも出動して反乱を抑えることができるようになっていました。そして、税金は、それぞれの地域の人に請け負わせていました。税金の総額を決めて、命令する。有力者がある地域を一括して請け負い、それをさらに下のものに請け負わせる。マタイは自分の下に人を用いていたようには記されていませんが、請け負う権利をもってかなり儲けていたに違いありません。庶民とは違い、自分の家に主イエスと弟子たち、それに取税人仲間など招いて食事をすることのできる大きな家に住んでいた。ユダヤ人は同じ民族の人間として、自分たちの国を支配するローマ帝国に対して、みな反感を持っていました。そういう中で、取税人はローマ帝国の手先となって、ユダヤ人から税金を取り上げて、私腹を肥やしていました。そのため嫌われていました。

 ペテロやヨハネの家のあるカペナウムという町の2キロメートルくらい先に税関の事務所がありました。マタイはそこで関税をとっていた。荷物を全部調べ、関税をかける。払えない場合は、取税人が貸して後で取り立てる。全くひどく、泥棒のような存在です。そのため、この地域一帯人に嫌われ、恐れられ、軽蔑されていた。彼らは一緒に礼拝をささげることも許されず、結婚式にも葬式にも呼ばれない。いろんな事の証人にもなれなかった。お金を儲ければ儲けるほど嫌われ、嫌われれば嫌われるほどお金儲けをした。

そのため、彼らの心の中には物凄い反発と同時に参めさや劣等感が渦巻いていた。いろんな職業や地位の人が税関を通ります。そういう人から、弱さに付け込んで少しでも多くをとろうとする。そういう事を通して、マタイは人間の弱さを知り抜いていたのではないでしようか。また、聖書には記されていませんが、マタイの福音書を書いたその旧約の理解と教養の深さから見ると、取税人でありながら、びっくりするほど聖書を勉強していた。

 

2.心の中に求め続けた救い主

 マタイは、イエスのしたことや教えていることを間接的に知っていたはずです。そして、自分の心に響いてくるものがあった。一度会ってみたい、話だけでも聞いてみたい。そういう思いがあったはずです。山上の説教のような教えやツァラアトの人のいやし、先週読んだ寝床の四隅を持って仲間に運ばれてきた中風の人のいやしなど知っていたに違いありません。

 イエス様は、社会の底辺にあるもの、差別され、無視され、悩み苦しむ者を差別したり蔑視したりしない。そういう思いを僅かであっても思っていた。マタイは何もできないでいたが、ある日イエス様の一行がこの取税所にやってきました。すでに聞いていることから判断して、これが主イエスであると、マタイは分かったはずです。

 

 イエス様は、マタイの心のうちを知っていた。そして、「わたしについて来なさい」と言われました。マタイは、旧約聖書の深い学びを通して、救い主に自分が呼ばれたという事に気付いたのではないでしようか。この主イエスのことばを、神の選びと召しとし受け止めたのではないでしようか。マタイは、何もかも捨ててイエス・キリストについて行った。主イエスの言葉によって、新しい歩みが始まったのです。マタイはこの時まで、決して取税所を離れることができなかった。自分を取り巻く状況や将来のことを考えれば、取税人であるよりほか、どんな人生も考えることができなかった。自分には取税人しか仲間はいない。どうして生活の糧を得ていくことができるだろうか。考えれば考えるほど、どうにもならなかったのではないか。

 マタイは人がその生き方を変えることがどんなに難しいかをよく知っていた。税金を請け負う権利を失うことは、自分のすべてを失うことであったに違いない。どんなに嫌われ、侮辱されても手放すことができなかった。しかし、イエスの言葉によって、マタイは今まで決してできなかったことを簡単に行った。何も考えずに、何も恐れずに、何も彼も捨てて立ち上がった。

 アブラハムが神の言葉を聞いて旅立ったように、預言者が神の言葉に自分の命をかけたように、マタイも立ち上がった。

 

3.マタイの喜び

 マタイは新しい歩みを始めました。はじめに、どんな事をしたでしようか。

 自分の家に取税人仲間やイエス様と一緒にいる人たちを呼んで食事会をした。喜びを分かち合おうとした。マタイはこの時喜んだ。心底喜んでいた。信仰のもたらす喜びを味わった。それはどんな喜びか。

 マタイは取税人という同じ思いの仲間だけであったが、新しい心を開いて分かち合うことのできる友を得た。そして、この世の富ではなく、「神の前に富む」生き方を知った。マタイは旧約聖書に詳しいので、自分がただイエスという男の弟子になると言うだけでなく、救い主に召されたと言う事が分かったはずです。そして、この召しが宝物の発見と同じだと思ったのです。

 もちろんこれからのことに不安がなかったのではありません。マタイは厳しい現実と言うものを知り抜いていた。かって取税人であった者を簡単に人々が受け入れるとは思っていない。しかし、彼は恐れない。詩篇126:5「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」そして、主イエスにあって困難や苦しみに遭うことは、決して恐れることではないと思った。取税人として生きる人生は、成長も実現しようとする価値もない人生であった。しかし、マタイは主イエスの弟子となることによって成長する喜び、人々から奪い取るのではなく、助け、恵みを与える喜びを見いだした。マタイは岩の上に家を建てる生き方を始めた。信仰によって与えられる平安は、無制限の保証付きの保険に入るようなものです。

 

4.パリサイ派の律法学者の反感

 マタイは、主イエスとたくさんの人たちを自分の家での食事に招待しました。しかし本当に招かれていたのはマタイの方だったのです。主イエスは、マタイと彼の仲間の取税人、罪人たち、そして私たちを招くために、この世に来て下さいました。

 しかし、このマタイの食事会を見て、反発する人達がいました。パリサイ派の律法学者たちです。そして、その反感は主イエスに向けられていきます。

 イエス様は、社会の底辺にいる人たちに近付いていきました。たまたま出会ったというのではなく、はっきり意識して近付きました。そうすることによって、イエス様も、律法学者やパリサイ人に反感をもたれることになります。取税人たちはローマ帝国の手先となって自分たちの私腹を肥やしてきました。そのために憎まれ、差別されていました。取税人に対する人々の思いは、苦い体験に根差しており、簡単には変えることのできないものでした。そして、取税人と親しく食事をするイエス様にも、その憎しみが向けられました。取税人の友は、自分たちの敵であると考えた。そして、そのことを弟子たちに指摘しました。

 

5.主イエスの使命感

 主イエスは、パリサイ派の律法学者たちの非難にどう答えられでしようか。

 この批判を聞いた主イエスは17節でこう言われました。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

 この言葉を聞いて、「主イエスはかわいそうな病人である罪人たちを癒すために来られたが、私は病気でなくてよかった」と思うのか、「主イエスに私こそ、あなたに癒していただかなければならない病人です。罪人である私をどうか救って下さい」と思って、主イエスに従っていくのか、そのことが問われているのです。

 私は病人を癒すために来た医者だ、と主イエスは言われました。その病気とは、肉体の病ではなくて、霊的な病気のことです。この社会の苦しみやあらゆる不幸です。その根底には罪があります。神に背き、人と人が愛し合うことができず、憎みあい孤独に生きている、その人生は病んでいるのです。金や名誉や地位にとらわれている人は病んでいるのです。自分は何もすることができない。今のまま耐えていくだけだと言う人も病んでいるのです。マタイはこの世界のどこにも、取税人でないほかの生き方を見つけることができなかった。自分は取税人としてしか生きられない。どうしようもなかった。それは、十字架と復活の奇跡以外に解決の道はありませんでした。主イエスが神でありながら人となって、罪は犯されなかったが、この世の人間としての苦しみを味わい、十字架の死にまで従われる方だからできるのです。マタイはこの主イエスの強さ、愛の心に自分のすべてをゆだね、悔い改めることができたのです。この悔い改めは、イエス様にお会いする以外決してできなかったことではないでしようか。

 

 私たちのそういう病を癒すために、主イエスはこの世に来て下さり、私たちの前で立ち止まり、私たちをじっと見つめて、「わたしに従いなさい」と語りかけて下さっているのです。「わたしに従いなさい」という主イエスの呼びかけこそ、私たちの病める人生が癒されて健康になり、立ち上がらせる力なのです。そしてこの医者である主イエスは、ご自分を必要としている病人、つまり罪人のためにこそこの世に来て下さり、病人と、罪人の共になって下さったのです。そのために律法学者たちから批判され、神を冒涜する者として十字架につけられ殺されてしまったのです。

 「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」。主イエスは、罪人をこそ招いて下さいます。「わたしについて来なさい」という言葉こそ、その招きの言葉です。罪の中から外に出る道を見出せないでいる孤独な世界に生きている私たちを、主イエスは招いて下さっています。主イエスの弟子として生きる道へと導いて下さるのです。そこにこそ、私たちの新しい人生があります。主イエスの十字架の死による罪の赦しと復活によって新しい人にされて立ち上がり、神様に愛されている神の子として生きる人生があります。

 岩の上に家を建てた人生、天国へと進んでいく人生です。

 

 お祈り

2021年11月14日

「中風のいやし」マルコの福音書2:1-12   小高政宏牧師

<説教要旨>

 はじめに

 

 今日は、「中風の人」の癒しの出来事から学びたいと思います。中風という病気を信仰的な意味で受け止めるとき、惰性や諦めのなかで生きている状態です。そこかきら立ち直ることを今日の聖書箇所は教えています。それは主イエスが教会に与える恵みによってできることです。このことを、①兄弟愛、友を思い喜んで助ける四人の仲間 ②律法学者のように他の人や現実を見て批判する姿勢、③人間の罪を赦し、現実の苦しみを打ち破ってくださる主イエス、④罪を赦され、再び立ち上がった中風の人、 の四点に心を向けて、信仰のすばらしさを学びたいと思います。

 

1.友を思う心、人の愛と熱心さ

 第一に注目したいことは、寝たままの中風の人を寝床の四隅を持ってつれてきた友人たちです。それは形骸化したユダヤ教が失っていたものです。中風と言う病気のために、動けずに寝たままの人がいました。中風と言う病気は、脳溢血の後に起こる症状で、下半身や腕など体の一部分が麻痺して、自分の思い通り動かせなくなる病気です。こういう病気の人は、自分ではイエス様のところにいくことができません。しかし、その人を知っている4人の人が彼の寝ている寝床の四隅をもって、イエス様が、人々にお話をされている家に連れていきました。こういう友こそ信仰の兄弟姉妹と言えます。

 

 ところが、家の近くまできてみると、家の中に入りきれないほど人が集まっていて、とても中には入れません。せつかくここまできたのですが、どうにもなりません。普通ですとここであきらめます。どうしてもあきらめられないとしても、終わった後など、次の機会を待ちます。しかし、この中風の人を連れてきた4人はあきらめませんでした。中風の人を4人で、その家の屋上にもっていきました。当時のユダヤの普通の家は、平屋で、家畜の住むところと人間の居る場所の二つに分かれていました。屋根には簡単に外から上ることができるようになっていました。そして、天井は木で作られたはりがあり、その上に葦やしゅろの葉を並べ、その上に粘土で作った瓦をおくという簡単な作りでした。屋根の上に中風の人を運んだ4人は、その屋根をはいで、屋根の上から床のままその人を吊り降ろしました。イエス様は多くの人の前でお話していました。そのイエス様の前に吊り下ろしたのです。あり得ないことです。普通そ んなことをする人はありません。まして、他の人の家で、主イエスが話をしているときに、いきなり上から吊り下したのですから、失礼極まりないことでした。

 なぜ、4人はこんな事をしたのでしようか。それは、この中風の人の苦しみが分かったからです。そして何としても治ってほしかったからです。自分の苦しみと同じ様に、苦しみを受け止め、何としても治してあげたい。そのためにできる限りのことをしてみよう。そういう思いで一致し、熱心さのあまりこのようなことをしたのではないでしようか。

 だから、主イエスが来ているこのチャンスを捉えなければならない、そのためには、世間の常識や礼儀など構っておれないと思って行動したのです。

 熱心さのあるところには解決が与えられました。家の中に入れるのは玄関だけではない。窓もある。でも周囲が全部駄目でした。しかし、天井がある。ただ考えるだけでなく、彼らは実行しました。苦しむ人をイエス様へと導く思いやりの深さと情熱から非常識なことをしたことは確かですが、記念に残るような素晴らしい事です。

 ローマ12:15「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」

 また、教会は一つの体のようであり、一人一人はその体の一部分でと教えられています。一本の指の先が痛んでも体全体が痛みを覚える。そして、それは自分たちの力と知恵の限界を超えた解決へとつながっています。人間にはできなくとも、神にはできる。

 

2.律法学者の心の中

 第二に覚えたいことは、この場に、イエス様の事を警戒して見張りのためにきた数人の律法学者のことです。彼らは4人の仲間たちのような思いを全くもっことができませんでした。そして、主イエスが中風の人に「子よ」と呼び掛け、「あなたの罪は赦されました」と言われたことに反感を持ったのです。主イエスの言葉の中に、病人への思いやりと共に、神としてこの人の根本問題に関わる姿勢が示されています。

 パリサイ人、律法学者たちは、イエス様のこの言葉を、神を冒涜するものだと受け取りました。ユダヤでは罪の赦しは、神にだけできることだと考えていました。神の前に悔い改め、手続きに従っていけにえをささげなければなりません。それを簡単に罪は赦されたというのは、高慢極まりないことなのです。

 

 イエス様は、律法学者たちが理屈を言っているのだと見抜きました。彼らには、現実の問題と戦って解決しようという姿勢がない、と見抜いたのです。そして、彼らに「なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。(8節)中風の人に、『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。(9節)」と言われました。

 ほかの病気なら治ることもあります。しかし、中風の人が立ち上がるということは奇跡以外にありえません。そして、罪を許すことも神だけにできることです。その神にしかできないことを人間ができるということは、自分を神と同じ立場におくことで、大きな罪です。律法学者たちは、主イエスが自分を神としていると思ったのです。律法学者の考えによると、罪のために中風という病気になった。だから、罪が赦されなければなおって立ち上がることはできない。そして、罪を赦すことは神だけにできることですから、主イエスは何もできないはずだ、と思った。そこで、主イエスはそういう思いが間違っていることを示すため、中風の人をいやされます。そして、かれらがどこで間違っているかを示そうとしたのです。

 

 この彼らの思いは、罪の赦しの宣言などは、言葉だけでいくらでもいうことができる、そしてそれが本当に実現したかどうかを目に見える仕方で確かめることはできない。だからごまかすことができる。現実の人間にとって、罪の赦しなどということよりも、病気であるとか、生活の上での苦しみ、経済的不安や人間関係の苦しみの方がずっと切実である。罪の赦しなどというものは抽象的な観念の中だけのことに過ぎない、という思いです。ですから、律法学者たちは主イエスの「あなたの罪は赦された」という言葉を、そんなことは誰でもいえる。この人にとっては病気こそが一番大事な問題なのであって、「起きて歩け」と言うことこそがずっと難しい。しかし、できないから、ごまかしているのだろう。そう考えたに違いありません。こういう思いは、私たちの心の中にもあると思います。律法学者たちは、理屈の上で「罪の赦し」は神だけにしかできないことだと言って、それを大切にしているようでありながら、実はそれを重んじてはいないのです。そんな抽象的な口だけのことよりも、起きて、寝床をたたんで歩くことの方が、大事だと思っているのです。

 

3.彼らの信仰を見た主イエスの愛と赦し

 主イエスは屋根から吊り下ろされた中風の人を見て、どうされたでしようか。ふつうこういう事をすると、「常識をわきまえよ。」「自分の事だけを考えるな」「なにをしているのか分かっているのか」というふうに叱られます。ところが、イエス様はそういう事を一切言いませんでした。病人の切ない思いを知った4人の人達が一つ思いになって、困難を乗り越えてイエス様のところに連れてきた。

 イエス様は、「彼らの信仰を見て」とありますが、寝床の四隅をもって運んできた4人の友人の思いを受入れ、彼ら以上の愛をもって受け止めてくださったのです。一人の人の体の一部分の痛みを体全体が覚えたように、その頭であるイエス様も同じように受け止めて下さったのです。

 5節に「イエスは彼らの信仰を見て」とあります。主イエスが見た彼らの「信仰」とは何でしようか。友人の病気を主イエスに癒していただきたいという切なる願い、主イエスならそれがおできになるという確信、また人の家の屋根を壊してでも友人を主イエスのもとに連れて行こうとする熱心さ、いろいろに考えることができますが、その根本にあること姿勢を信仰ともみているのです。

 中風の人にイエス様は「子よ」と呼び掛けられました。その言葉に続いて、「あなたの罪は赦されました」と言われました。この言葉の中に 病人への思いやりと共に 信仰によってしか交わることのできない、神としてこの人の根本問題に関わる姿勢が示されています。

 主イエスは、病に苦しみ、生活を失い、おそらく希望も失っていた、この中風の人に、この神の愛を告げて下さいました。「子よ、あなたの罪は赦される。」主イエスは、中風の人に「子よ」と呼びかけられました。父なる神の深い愛をもって、あなたは神に愛されている。あなたは神のものだ。神と共に生きる者になりなさい。そのことを宣言なさったのです。主イエスは、中風の人に、本人や仲間たちが求める以上に、もっとも必要で、もっともよいものを与えて下さったのです。

 主イエスは「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせるために」と言って、中風の人に「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」すると、その人は主イエスのお言葉通りに起き上がり、自分で寝床を担いで家に帰って行きました。

 

4.すると彼は起き上がり、復活し霊的な新生される

 最後に結論となることに心を向けたいと思います。それは、主の恵みは現実に人を立ち上がらせる力をもっという事です。律法学者やパリサイ人は、いろんな理屈を言い、言うだけでなく律法を忠実に守りますが、彼らには弱さを理解し、その人を立ち上がらせる力はありません。いかに不信仰を責め、悔い改めさせようとしても、新しい可能性がそこにはありません。しかし、イエス様は違います。罪を許すことのできる神は、癒しを通して、この世で生きる力を与えることができるということです。

 

起きなさい…生きる姿勢をかえなさい。もう駄目だ。どうしようもないという思いをすてなさい。

 

寝床をたたんで…寝床は自分が立ち上がることのできない理由を表すものですが整理しなさい。

 

家に帰りなさい…本来の任務、生活に戻りなさい

 

 苦しみの中には自分で描いた幸せを得たいと言う思いだけでなく、本当の救いを得たいという思いが秘められています。自分勝手な幸せを求める心の底にある、本人も気付かないような神を求める思いを、イエス様はくみ取って下さったのです。こういう事こそが、彼が望んでいたことです。

 

 お祈り

2021年11月7日

「きよくなれ」マルコの福音書1:40-45   小高政宏牧師

<説教要旨>

 はじめに

 

 本日の聖書の箇所は、主イエスが、重い皮膚病であるツァラアトにかかっていた人をお癒しになった奇跡についての出来事です。イエス様のなさった奇跡は、天国の恵みのしるしであり、その人へのイエス様の愛のしるしであり、神のカの現れです。

 主イエスは弟子たちと一緒にガリラヤ地方のあちこちを回り、神の国の福音を宣べ伝えていました。教えと共に病気の人を癒したり、悪霊を追い出したりしました。

 そういう中で、今日の聖書箇所は主イエスがツァラアトという重い皮膚病の人を癒したことを記しています。この出来事も癒しの奇跡の一つです。しかし、この癒しはほかの多くの人の癒しとは違う面があります。この点に注目しながら、

① ツァラアトの人について、彼の信仰と主イエスへの思い、

② 主イエスの愛と癒し、

③ 癒しと宣教

についての3つを見ていきたいと思います。

 

1.ツァラアトの人の信仰と主イエスへの思い

 まず、ここに出てくる「ツァラアト」という重い病気について説明したいと思います。古い口語訳聖書では「らい病」となっていました。それはここに出てくるツァラアトは、長い間、「らい病」つまり今日の呼び方では「ハンセン病」のことだと考えられてきたためです。しかし、ハンセン病とは違うことがわかってきました。そして、「ツァラアト」とハンセン病とは違うものだということが、現在ははっきりしています。その誤解を断ち切るために、一時「重い皮膚病」と訳すことになりました。しかし、「重い皮膚病」もあいまいな訳語ですから、聖書のギリシャ語の言葉であるツァラアトと日本語に訳さずに使うことになりました。

 

 40節には、ツアラアトの人が癒しを求めて主イエスの所に着ました、そして、ひざまずいた、とあります。

 この人がどんな状況に置かれていたかを見たいと思います。

① 体の苦しみ治ることのない病気、だんだんと皮膚や肉が崩れて死んでいく病気。

② 人間関係の苦しみ、隔離され、家族や友人から引き離され、蔑視され、差別され、恐れられる。

③ 神にも呪われ、礼拝にも参加できず、死後にも希望がなく、永遠に苦しむ。

 

 レビ記の、13章に細かく語られています。しかしそこを読んでも正直言ってどのような病気なのかということはよく分かりません。しかし、大変な苦しみの中にあるということはわかります。

 この症状があるかぎり、その人は汚れているとみなされる。その人は町や村の外に住まなければならない。人と出会った時には「わたしは汚れた者です」と叫ばなければならず、家族や友人たちから引き離されます。さらに宗教的にもけがれた罪人として扱われ、癒しを祭司に証明してもらわない限り、元の生活に戻れません。本当につらくみじめな状態におかられていました。この病気にかかることは絶望的なことだったと思います。

 そういうツァラアトの人が、主イエスの所に来たのです。ものすごい勇気が必要だったと思います。そして、人にどのように見られ扱われているかを知っていますから、自分がしてはいけないことをしていると分かっています。しかし、それにもかかわらず主イエスの所に願い出 たのです。自分の持っている壁を乗り越えなければできません。人々にどのように見られ扱われているかを知り、その殻を破らなければ出ることができません。

 

 38年間病気だった人が、主イエスに「よくなりたいか」と聞かれたとき、するとその人は、私には助けてくれる人がいません、と言いました。自分から積極的に助けを求める勇気がなく、 38年が経ってしまったのです。自分の殻に閉じこもって自分を守ろうとしていた。いやされたいと思いだけでは、殻を破ることは出来ません。しかし、このツァラアトの人は違いました。

 

 主イエスの所に行き、ひざまずいて願いました。ツァラアトの人は、神殿に近づくこともできず、律法学者に救いを求めることも、家族隣人とも交わりを禁止されていた。しかし、主イエスは自分を救ってくれるという確信を持ったのではないでしようか。主イエスの前に行っても石を投げられない。ほかの人の場合のように怒られ追い返されることもないと確信したに違いありません。主イエスは自分を嫌がらず迎えてくれると信じました。そういう確信と感謝の思いを込めて、ひれ伏して「お心ーつで、私はきよくしていただけます。」と言いました。 

 回りくどい妙にヘりくだったお願いの仕方だと感じられます。「みこころでしたらきよめていただけます。」は、「もしよろしければ…」という、日本人がよくする遠慮深いお願いの仕方だと同じように思われます。しかしこの言葉は、たしかに遠慮したへりくだった「お願い」ですが、違う面があります。「もしあなたがお望みになれば、あなたは私をきよくすることがおできになる方です。」という、主イエスの愛とカへの信頼があります。信仰者は一番謙遜なことは礼拝 を捧げることであると知っています。このヘりくだった言葉には礼拝を捧げるような思いがあったのです。

 これは「あなたには病気も汚れもみんな取り去ることができる権威と力を持っておられます」と信じ、その信仰を言い表した言葉です。そして、主が、自分の苦しみや悲しみに関わり、救って下さる方であることを信じ、告白したのです。「お心一つで」という言葉は、力を持った主が私のことを救おうと思ってくだされば、私は救われる、すべてはあなたのみ心にかかっています、という信仰告白です。

 

2.主イエスの愛といやし

 このような思いでやって来たこの人を、主イエスは「深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわっていわれた」と41節にあります。「深くあわれみ」と訳されている言葉は、内臓が揺り動かされるような憐れみを表しています。日本語で言えば「はらわたのよじれるような」というような非常に強く深い感情を表します。この人の苦しみや悲しみに、自分の内臓がねじれるような痛みを感じ、あわれみを持たれたのです。主イエスは、人間の苦しみ悲しみに対する深く鋭い感性を持っておられました。人の苦しみを感じ取る想像力を豊かに持っていました。そしてその愛とあわれみのゆえに、手を伸ばして、触ってくださったのです。「汚れた者」に触ると、その汚れが移ると考えられていましたから、これは当時の人々は決してしないことでした。この人は主イエスを、私を救うことがおできになる方だと信じ、信仰を告白しました。そうすると、主イエスが彼に近づいて救いの恵みを与えてくださいました。

 

 そして、さらに大事なことは、癒しと共に汚れがきよくされたということです。ツアラアトにかかっている人は、人を見たら「わたしは汚れた者です」と呼ばわって、人との接触を避けなければならなりませんでした。誰かが知らずに彼に触れてしまうことがないようにするためです。汚れた者に触れると、その人も汚れてしまうと考えられていました。それは病気が感染するということだけではありません。この汚れは宗教的な汚れでもあります。しかしその宗教的な汚れが、ウイルスのように感染すると考えられていたのです。そのために誰も、その人に触れようとはしませんが、主イエスは敢えて手を伸ばしてその人に触れて下さいました。

 それによって、神様との関係がつながったのです。神様のみ前に出て礼拝をすることが 禁止されていた者が礼拝に加わることができるようになりました。そして、人との交わりも前と同じようになります。主イエスは、罪によって神様との関係が断ち切られている私たちのため に、その罪を全て背負って十字架にかかって死にました。そのことによってその罪が赦され、私たちは神の子とされて生きることができるようになりました。

 

3.癒しと宣教

 主イエスはこの癒された人に、「だれにも何も言わないようにしなさい。」と厳しく戒めて去らせました。ただ、行って自分を祭司に体を見せなさい。そして、人々への証しのために、モーセが命じたものをもって、きよめの供え物をしなさい。」と言われました。それは、自分の病気が治り、もう汚れた者ではなくなったことを、祭司に認定してもらいなさい。そして、神の民の礼拝に連なることができる者となるための儀式をしなさい、ということです。ユダヤの国ではその手続きや儀式のことが、レビ記第14章に記されていますが、その通りにしなさいと言うことです。

 ここに、主イエスが与えて下さった癒しのもうーつの大事な意味が示されています。彼は、神様のみ前に出て礼拝をすることができる者とされました。そのことによって、人々との交わりを回復したのです。いま誰でも、礼拝に自由に参加することができます。しかしそれは当然のことではないのです。神様が、その独り子イエス・キリストを遣わして、その十字架の死と復活とによって私たち全ての者の罪を赦して下さり、そして救い主イエスが、そのみ心によって、私たち一人一人に手を差し伸べて下さったから、参加することができるのです。私たちはみんなこのツアラアトの人のようにけがれており、人に遠ざけられ孤独のうちに滅ぶべきものです。神様のみ前に出て礼拝をするのに相応しくない罪人です。人間の目に汚れは見えなくとも、神の目、霊の目で見るとき、どんなにけがれていることか。主イエスによる罪の赦しの恵みをいただかなければ礼拝に参加することなどできない者なのです。ですからこの人の体験は私たちの信仰につながっているのです。

 

 彼はそこを立ち去ると、主イエスによって癒されたことを、町に入って人々に言い広め始めました。彼は、その喜びと感謝の気持ちに溢れ、主イエスのことを人々に伝えたのです。

それは救いにあずかった者としての当然の姿であると言えるでしよう。

 この人は、主イエスの「気をつけて、だれにも何もいわないようにしなさい」という厳しい注意に従いませんでした。主イエスは信仰よりも奇跡を求める人々に誤解されないように言われましたが、彼には悪意はありません。主イエスにいやしていただいたので、彼は今までと違って、自分に起こったことを告げることができるようになったのです。それまでは、汚れた者として人々からのけ者にされ、人々との触れ合いのないところで生活しなければならなりませんでした。しかし、清められたことによって彼は町の中で、家族や友人たちと共に生活することができるようになり、主イエスのことを人々に言い広めることができたのです。病気の癒しからさらに人生の新しい道が開かれたのです。

 しかしそのことによって主イエスはどうなったか。「表立って町の中にに入ることができず、町の外の寂しい所におられた」のです。こうして主イエスは十字架への道を進まれたのです。

 覚えて感謝したいと思います。

 

 お祈り